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宙(そら)が遣わす船に乗り 十四

by 森戸 麻子

6.

 何を言っている? いったい何が起きているんだろう?

 冷たい気持ちの悪い汗が噴き出し、私の指先は震えていた。

「我々は、簡単に言えば、未来の人類です」天井の声は淡々と告げた。「『船』のことではお騒がせして申し訳ないです。なるべく影響の少ない時代を選んではいるんですが、こればかりはどうしてもねえ」

「……どうして『過去』に来たの?」

「詳細は言えないんです、何度も申し上げる通り……」

「歴史を変えに来た?」

「まあそういうことも含め、色々です。我々は個別の時代の出来事に用があるわけではなく、マクロな視点から見た四次元的な事象を調整しに来ているだけです。言ってみればこれは工事というか修理というか、そういった実務的なもので、空を覆っているあの『船』は一時的に置かせてもらっている工事車両だと思ってもらえれば。だからもうすぐこれは終わりますし、終わる時期も我々は知っています。詳細は教えられませんが。すべて、過去から未来に渡って矛盾の無い形で収束します。というか、そうさせるために我々は来たのですから」

「なぜ私にそれを話すの? 私が何か特別なの?」

「あなただけではありませんが、『船』がここに着地したことや『工事』の影響で時間軸に異常をきたしている人はそれなりの人数います。できる限り個別にお声がけをして『センター』にお越しいただくようにご案内していますよ。センターっていうのはこれも無数にあるんですが、船への乗船口のようなものです。ここから一番近いのは、ここを西に向かった所にある小さめの山の頂上ですね。そこに来てほしいんです、あなたにも。修正はすぐに終わります。ほつれを直すだけのことで、難しくはありません。もちろん痛くもないしあなたの身体や記憶をどうこうしたりもしません。時間軸の問題ですから。ほんとはねえ、ほとんどの人は『夢のお告げ』みたいな形で催眠下で誘導してスムーズに来ていただけるんですけど、あなたみたいに脳内物質が荒れてる人は難しくてね。だからこういうふうに直接話しかけるという不自然な形を取らざるを得ないわけです。こういう方は他にもけっこういらっしゃいましてね。でもあなたはかなり頭の良いほうだから説明自体はスムーズで助かりますよ。四番目の次元が時間軸だということを、説明する前に理解していらっしゃいましたね。かなり知的レベルの高い方だ。それに高度な教育を受けられていますね」

 なんだか途中から、こちらを馬鹿にしているように聞こえてきた。それに、天井の声があまりにも長々と喋るので、だんだん最初の緊張が続かなくなり、うんざりしてきた。こいつは、いつ黙ってくれるんだろう。ここは私の部屋なのに。

「二次元上では一定のペースで大きくなる円として観測される物体が、三次元上では円錐として観測されることを理解できますか? 二次元の視点からは何らかの移動や変化を伴わなければ見えないものが、三次元の視点からは俯瞰して見通せる。四次元の視点から見る三次元の世界も同じことです。我々にはあなた方の考える『過去』も『未来』も同時にそこに存在するものとして見通すことができます。もちろん過去と未来は連動しています。無数の糸で織られた一枚の布のように。一方を引けば他方が歪み、どこかを断ち切ればすべて解けてしまう。顕微鏡で拡大しなければ見えないような小さな繊維の一本一本の行く末までは、我々は予測し得ないし制御できません。ただ我々はそこに俯瞰して見える全体像を調整し、致命的な破断が起きないようにときどき手を加える。過去や現在の状況の先に訪れる未来を甘んじて待つのではなく、四次元の視点から見通して積極的に介入し、未来を調整することにしたのです。我々の肉体は結局のところ時間軸に沿ってしか活動できないですから、種の存続のために安定した未来を構築することは必須の課題です。時間軸を俯瞰する技術を手に入れたことで、我々の『資源としての未来』は……」

 私はベッドに寝転び直し、スマホを見た。指が無意識に動き、SNSの画面を開いていた。前回最後に表示した画面が復元される。夢儚一輪のプロフィールと最新の投稿だ。

 天井の声は私が無視し始めたことに気づいたのか、すっと遠ざかるように消えた。あるいは、もしかしたらまだ何か喋っていたのかもしれないが、いずれにしろ私の耳にはもう入らなかった。

 スマホの画面に表示された絵の意味をすぐには理解できなくて、というより、理解したくなくて、私はしばらく見つめた。

 夢儚一輪は、今日は投稿を「公開」にしており、リッチーの投稿をシェアしていた。

 本文は「ファンアート」とだけ書かれ、ボールペンで描いたらしいイラストが添付されている。一輪が過剰なほどの喜びの声を連投しているので、これは一輪の作品へのファンアートなのだろう。

 両脇に桜の樹が並ぶ緩やかな下り坂。連れ立って散策する人影がいくつか見え、中央には若い女性が立つ。

 どことなく、その女性の年恰好や服装は私に似ているような気がした。リッチーが一輪の作品の主人公を想像して描いたのだろうから、おそらく一輪とオフで会ったときの印象も重ねてあるのだろう。私にとっては顔も素性も知れないウェブ上の創作者だが、リッチーの絵を通して、どんな人物であるかがじんわりと伝わってくる。

 はっとさせられるような、不思議な力強さを持った絵だった。

 そして、私じゃないんだな、と思った。そう考えてしまうことが嫌でたまらなかった。

 リッチーはあれ以来、「ミトン」に対してはなんの動きも見せない。もしかしたら非公開メッセージでは何か送ってきているのかもしれないが、私はログインできないので見られない。私とのオフ会の約束が流れ、私が返信しなくなり、投稿も途絶えてしまったことを、リッチーはなんとも思わないのだろうか。もちろん、思っても公開されている場所で個人的なことを書く人ではない。だから、もう永久に確かめられない。

 リッチーにとって、私は何だったんだろう。

 彼女は「ミトン」というアカウントの上に築かれた虚構を面白がってくれただけなのかもしれない。私本人と会ったとき、彼女は嬉しそうにしていたが、会話はそれほど弾まず、実のあるやり取りもなかった。ただ「会った」というだけだ。歳も離れているし、普段の暮らしぶりも、趣味も違う。あまりにも接点がなさすぎて、何を話せば良いのか思いつかなかった。

 夢儚一輪の投稿を昨日まで遡ると、リッチーのファンアートの元となった作品が見つかった。桜の花がアップで写っている画像を背景に、二十行ほどの文章が縦書きで入っている。この画像一枚で完結しているショート・ショートのようだった。

 ざっと目を通すが、ごく短い詩のような作品で、内容らしい内容は感じられない。文章は下手ではなかった。近ごろのウェブ創作者にありがちな誤字や誤用もない。樹々とか草花とか風とか、光とか空とか水の流れとか、何かそういった美しいものについて美しい言葉で書かれている。私にとっては、だから何、というような題材で、でも確かにリッチーはこういう詩的な表現が好きだろうなという気がした。

 私はまだスマホを睨んだまま、身体をねじるように寝返りをうった。

 吐きそうだ。気持ち悪い。

 もう嫌だ。全部、全部、嫌だ。ここから出してほしい。もう耐えられない。

 私を包む現実がぼろぼろに崩れ落ちて剥がれていく。死ぬほど苦しいのに、私の心は凪いでいる。空虚で、不感で、無関心に冷え切った私の心。私を裏切って沈黙し続ける私自身。

 駄目だ、もうこれ以上考えては駄目だ。

「ねえ」私は天井の角を振り返り、苛立ちに任せて言った。「なんとか言ってよ。なぜ黙ってるの?」我ながらひどく身勝手な言い分だと思った。「返事しなさいよ。さっきまであんなにベラベラ喋ってたじゃないの。もう終わり?」

「センターにお越しください」と、甲高い作り声は応えた。

「行かなかったらどうなるの? 私が、時間軸のほつれを修正しなかったら」

「世界が終わることになりますね」と、声は言った。

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